識 〜しき〜
般若心経の言葉を分析して読み解いた時に結構インパクトに残ってる1つ。
現代語にもあります、認識とか、意識、識別とか。
何かの物事に対して、これだと決める。
そうゆう意味。
仏教の、一番ルーツになっている般若心経では、識は人によって違う、そして変化していくものだということが言われてる。
これ、しっかりと心にいれとくとメンタルが強くなった。
人それぞれ物の捉え方や、考え方が違う、違っていいのである。
それを受け入れられなかったり、正そうとすると、しんどくなる。
それがひどくなると頑固者になって、人と触れ合わなくなる。
自分の正当化のため、自分と同じ考えの人や、自分が思うように動いてくれる人ばかり見方につけようとする。
たった一人で生きていくならそれでいい。
しかし、私たちは自然と人と共存していることを忘れてはならない。
一人がいい人は放っておいたら、いい。
だけど、周りの人が色々と気にかけてくれることをありがたいと思えるうちが花。
そうゆう心を無視して自分を守る人は、そうしたら良い。
そのようにしていたらどうなるか、それも自分の問題だ。
こうやって言ってる事も時期が来たら変わる。
当たり前だ。
色んな経験をしたら 識は変わるもの。
今思うままがベストだから、それでいいし、今の自分が在るということに感謝したら良い。
ライブの打ち合わせの時の次女。
子供の時は砂時計ですら、興味深くて、ずっと眺めたりする。
大人になったら、ただの砂時計として認識するだけになる。
それも 識 だ。
子供を観察しても、色々と学びがある。
大人になると、識が、増えすぎて頭が硬くなるのでありがたいことだ。
幼いけれど、色々思うことがあると思うので、
大切にしていきたいと思う。